2016年07月28日

まだ見ぬ場所へまだ見ぬ友人 IF

偶然ではなく必然である。
人が人と出会うこと。

場所などどうでもよく立派な場所で出会ったとして
その人間が立派だという保証はない。
肩書きは何の意味もない。

引き寄せるのは自分であり
寄ってくるのは
自分の心に似た方が多い

求めれば与えられん

ってことなのかもしれないね

だがそこからが難しい。

本当に自分に合う人間を
見つけ出さねばならないからだ

一見合いそうな人間でも判別するのに
ある程度の時間がかかる

大人か大人ではないかまずは
見分けないと
後々やっかいなんだ。

後は自分大好きすぎる人間。

こういう人は基本 他人のことなどどうでもよく
自分のことを見て欲しいだけなので
使う時間も無駄である。

注目されたいチヤホヤされたい
こういう思いが原動力なので
相互関係などはなから期待すべくもない。

自分の周囲の人間などたかが知れているので
既に仲良くなっている方以上に仲良くなる方も
限られる。

要するにまだ見ぬ場所へ
まだ見ぬ友人を捜しに行くのがいい

それが新しいことに挑戦すること
に繋がってくる

趣味での会合でもいいし
自分の興味のある分野以外に思い切って
参加してみる

そうすると新しい視野に触れ
影響を少なからず受けることになり
友人になりたいという人が出てくると
個人的には思う。

自分の意見に賛同するものばかり
周囲に配置し世界を構築するのもいいが
たまには異論を唱え新しい視野を
広げさせてくれる
人間ともコミュニケーションを
取る方がいいだろう

受容。受け入れると人は少し大きくなる
それが器というものかどうかは分からぬが
確実に変化が起こる。

絶対に無理だと決めつけていたものが
受け入れたことにより無理ではないと
思うことができ新しい自分なりのものの見方が
再構築されていく。

大人というのは受容できる幅が
ある程度広く深い方の事であって
聞く耳を持ち人が話をする際に
もう良いですとばかりに腰を折る様な
輩は省かれる。

浅慮な考えで自分で情報を遮断するのだから
また同じ様に提案されても拒否するだけ
もしかしたらなどという考えを持ち得ないんだ。

IF もしかしたら

重要だと思うね。仮定で物事を把握分析する力
僕は今はそうは思わないのだけれど
もしかしたらいま話されている方の方が
正しいのかもしれない

その様に考えて自分の知識として入れ込んで
いけるなら非常に得であり また同じ様な話をされた時
成る程なと理解度も非常に高くなる。

スポンジの様に吸収力の高い人間は
人から何かを学ぼうと常々考えている
知らないことあれば質問し
答えを教えて貰い自分の糧とする

答えることができるということは
自分の知識以上に物事を知っておられる方
なわけだから


そういう機会を自ら作り出さぬ限り
出会うこともない

素晴らしい人間は素晴らしい人間の
周囲にはゴロゴロしてる

一歩踏み出せたら世界は変わることになる


みるくこーひー


まだ見ぬ友人君の名前はなんだろう。。。


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posted by みるくこーひー at 11:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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